最近のAI技術は目覚ましく、イラストや動画のクオリティもどんどん向上しています。しかし、AIが生み出す作品には何かが足りないと感じることはありませんか?「AIの絵よりも、人間が描いた絵の方が温かみを感じる」という声を耳にすることがあります。そこで疑問が湧きました。
「人が作った作品には、本当にAIにはない温かさがあるのか?」
「その温かさとは一体何なのか?」
この疑問をきっかけに、人が作るものの「温かさ」について調べ、考えてみました。
温かさとは何か?
まず、「温かさ」という言葉の意味を調べてみると、冷たくなく熱すぎもせず心地よい状態、思いやり、いたわりの心が感じられる状態、という意味だそうです。
手書きのイラストがデジタルイラストより温かく感じられたり、レコードの音がデジタル音源よりも心地よく響いたり、手紙がAIが生成した文章よりも感情が伝わると感じたり…。これらの現象には、共通して「温かさ」が関わっています。
では、この「温かさ」は本当に人間の知覚で判断できるものなのでしょうか?
これらは、本当に人間の知覚で判断できるんでしょうか?なんとなく感覚的にわかるという人もいると思いますが、本当に分かっているのか?個人的には、わかった気になっているだけのようにも見えます。 ただ、それ以上の何かで温かさが人に伝わるものがあるとするならば人間の知覚とは別の第六感(シックスセンス)かもしれません。
第六感(シックスセンス)とは、理屈では説明できない、直感的に物事の本質を掴む感覚や勘やインスピレーションなど、無意識に働く感覚です。
第六感というとスピリチュアルの世界の事のように思えるかもしれませんが、脳はスーパーコンピューターを超える情報処理能力を持っていると言われています。2013年、理化学研究所の調査で、当時世界第4位の性能を誇ったスーパーコンピューター「京」が、人間の脳が1秒間に行う情報処理をシミュレートするのに40分 もかかったという結果が出ています。
もしかしたら、第六感の正体は脳がもつ膨大な量のデータを参考に判断した能力かもと思えてきませんか??
デジタルで作り出す色数は1677万色と有限ですが、絵具や鉛筆で作り出せる色数はほぼ無限であり、レコードに録音される生の音も同じことが言えると思います。
そのデジタルとアナログの差をスーパーコンピューターを超える脳が、第六感として判断しているんでしょうか?? ただ、脳が持つ能力だとしても、第六感が強い人が確実にその温かさというものを判断できるわけでもなければ、第六感が弱い人が温かさに全く気付けないとも言えない。
そもそも2000年代が始まる前から、絵を描く事も、レコードに録音される音もデジタル音源であることから、いくら第六感が強くても絵や音自体が同じでは意味がありません。
では、AIには作り出せない人の温かさとはなんなんでしょうか?
結果としてはよく分かりませんでしたが、もしかしたらそのヒントになりそうなものがありました。
それは料理です。
同じものを作ってみても、作る人によって味が変わるという現象です。
全く同じレシピ通りに作ったとしても、作る人がイライラしていたりすると、とても味が濃く感じたり、美味しいくないといい、優しく思いがこもっていると味がまろやかになり、美味しいと言います。
これは食事をする側は作り手の料理中を見ているわけでも、料理を作った本人を見た訳でもなく、何となく感じる感覚だそうです。
温かさの答えになるかは分かりませんが、AIが作り出せない温かさとは、絵、音楽、料理問わず、人の作る物には作り手の心が作り出される作品に「表れる」という事、そして受け取る側が、その「表れる」ものを感じ取るチカラが第六感であるという事ではないでしょうか?? 「現れる」ものを、「気持ち」と言うと分かりやすいかもしれませんね。
人が「現れる」という現象を作り出し、人が感じとる。「現れる」もののキャッチボールが成立した時に感じれるものが温かさなのかもしれないですね。
AI技術が飛躍的に進化する中で、私たちはその便利さや可能性に感嘆しつつも、どこか違和感を覚えることがあります。それは、AIがどれだけ精巧に人間の表現を模倣しても、「温かさ」 を感じることが少ないからかもしれません。
AIが生み出す作品には、膨大なデータが反映され、計算された美しさや完璧な構成が表現されています。しかし、その中に「感情」や「想い」 は含まれていません。AIは、与えられたデータを分析し、アルゴリズムに基づいて最適解を導き出すだけであり、そこに「人間の心」 は介在していないのです。
温かさとは、作り手の心が表れたものを、受け取る側が第六感で感じ取るもの。
これは、単なるデザインの良し悪しや、技術の巧拙だけでは説明できません。作り手がどのような想いを込めて制作したのか、その背景にある感情や経験までもが作品に**「表れる」** のです。
例えば、手書きの文字には、その人の性格や気持ちが微妙に滲み出ます。優しい気持ちで書かれた手紙と、義務感で書かれた手紙では、同じ文章でも受け取る印象が異なります。これは、書き手の感情が文字の強弱や筆跡の癖に現れ、それを受け取る側が無意識に感じ取っているからです。
この「表れる」感情は、デジタルには再現できない「人間の温かさ」 の本質であり、それを感じ取る力が「第六感」 と言えるのかもしれません。
AIは確かに、私たちの生活を便利にし、創造の幅を広げる可能性を秘めています。しかし、どれだけ高度なアルゴリズムが開発されても、「心を込める」 というプロセスは再現できません。心を込めるという行為は、作り手が体験した喜びや悲しみ、葛藤や希望が基盤となり、それが作品に表れるからこそ、受け取る側は温かさを感じるのです。
AIにはない温かさとは、人間が経験し、感情を動かし、それを伝えたいと思う気持ちの表れであり、それを受け取る人が第六感で感じ取ることによって初めて成立するもの。
この温かさが、「人と人を繋ぐ感情のキャッチボール」 を生み、私たちの心を豊かにしてくれるのではないでしょうか。
今後、AI技術がさらに進化し、より高度な表現が可能になったとしても、「人の温かさ」 はますます貴重なものになっていくでしょう。なぜなら、それは人間の経験と感情に裏打ちされた「心の表現」だからです。
AI時代だからこそ、温かさを感じられるものに触れる時間を大切にし、「人間らしさ」 を見つめ直すことが、これからの時代に必要なことかもしれません。