Mystery Record Blog

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オカルトは神秘主義という人類最古の科学であり、最古の宗教でもある

今回は「オカルトは人類最古の科学であり、最古の宗教である」というテーマのもと、『図説 オカルト全書 著者 オーエン・S・ラクレフ』を参考にしながら、オカルトの本質や歴史を深掘りしていこうと思います。神秘主義と科学、そして宗教がどのように絡み合い、人類の思考や文化に影響を与えてきたのか、一緒に考えてみましょう。

オカルトに対する誤解と偏見

「オカルト」と聞くと、多くの人が警戒するかもしれない。怖い、怪しい、非科学的――そんなイメージが先行しがちだ。特にオウム真理教事件以降、オカルト的思想や神秘主義は危険視され、反社会的な行為と結びつけられることが増えた。魔術や超自然現象も、「単なる空想」「非科学的」として軽視されることが多い。

しかし、こうした見方は極めて偏ったものであり、オカルトの歴史的な背景を無視している。実際、欧米では過去20年間でオカルトと科学、オカルトと宗教の関係を再評価する動きが進んでいる。オカルトが思想や哲学に与えた影響についても、学術的な検討がなされ、重要な歴史の見直しが提案されているのだ。

 

オカルトはどこから生まれたのか

オカルトとは、人間の心が生み出したものである。人は、生と死、性、宇宙、運命といった根本的な問いに直面した時、理屈だけでは解決できない何かを求めている。その探求が、神秘主義となり、やがて科学や宗教へと発展していった。

ユダヤ教キリスト教の神秘家たちは、瞑想や断食、苦行を通じて「見えない世界」に触れようとした。想像力を極限まで研ぎ澄ませることで彼らは神や霊的存在と更新しようとしたのである。

 

魔術と芸術が生んだ人類の進化

魔術とは、想像力によって自己催眠を引き起こしたときに起こる現象ともいえる。真の芸術家や神秘家が「魔術的な体験」をするのも、彼らがそれを信じ、現実をして受け入れるからだ。

では、オカルトの始まりはどこにあるのか?

人類史を振り返ると、ホモ・サピエンスは「芸術」という総合的な魔術を生み出したことで、ネアンデルタール人や他の類人猿を圧倒し、地球上で繁栄したのではないかと考えられる。

動物行動学者コンラート・ローレンツは、「人間とチンパンジーの最大の違いは、必要のないい事をする能力だ」と述べている。例えば。旧石器時代の人々は石器に十字の刻印を入れ、縄文人は土器に網目模様をつけた。実用的な意味のないこれらの装飾は、実は呪文や信仰と深い関わりがあったのではないかと推測される。

しかし。超自然的な力を意識すること自体は、ネアンデルタール人にもできていた可能性がある。彼らは、死者を埋葬し、花を手向ける習慣を持っていた。もしそれが現代の「献花」と同じ意味を持つとすれば、彼らも高度な精神文明を持っていたと言える。

では、なぜネアンデルタール人は滅び、ホモ・サピエンスが生き残ったのか?

その鍵は「魔術的思考」にあったのかも知れない。

洞窟壁画には、動物の絵を描き、それに槍を突き刺す儀式が残されている。これは、狩猟の成功を祈願する呪術的な行為だと考えられている。シャーマンがこの「擬似狩猟」を行い、狩人たちに自信を与え、実際の狩へ送り出す。この儀式を持たなかったネアンデルタール人は、狩猟や社会的な結束において劣っていたのではないか。

この仮説が正しければ、「芸術」という実用性のないものが、人類の運命を大きく変えたことになる。そして、それはオカルトが持つ「見えない力を活用する」という思想の原点とも言えるのではないか。

サピエンス成功のカギ

ユヴァル・ノア・ハラリのサピエンス全史には、このように書かれている。一対一での喧嘩をしたら、ネアンデルタール人は恐らくサピエンスを打ち負かしただろう。だが、何百人という規模の争いになったら、ネアンデルタール人はまったく勝ち目がなかったはずだ。彼らはライオンの居場所についての情報は共有できたが、部族の精霊についての物語を語ったり、改訂したりすることはおそらくできなかった。彼らは虚構を創作する能力を持たなかったので、大人数が効果的に協力できず、急速に変化していく問題に社会的行動を適応させることもできなかった。

 

ネアンデルタール人の精神文化と象徴的行動

ネアンデルタール人は死者を埋葬し、時には花や装飾品を添えていた形跡があります。フランスのラ・シャペル・オ・サン遺跡や、イラクのシャニダール洞窟では、埋葬された遺体の周囲から花粉が検出されており、死者に花を手向ける習慣があった可能性が指摘されています。

ホモ・サピエンス(現生人類)の場合、フランスのラスコー洞窟やスペインのアルタミラ洞窟の壁画に見られるように、狩猟成功を祈願する儀式的な絵を描き、それに槍を突き刺すなどの「擬似狩猟」の痕跡があります。

ネアンデルタール人には、こうした具体的な「狩猟儀礼」の証拠は見つかっていません。ただし、彼らも洞窟内で何らかの象徴的活動を行っていた可能性はあり、今後の研究次第では、より詳しい情報が明らかになるかもしれません。

 

現代におけるオカルトの姿

現在、オカルトというと心霊現象やUFO、スピリチュアルといった話題が中心になっている。インターネットやメディアの影響もあり、超常現象は「本物か偽物か」という二元論で語られることが多い。しかし、それは本来のオカルトの姿とは少し違っているように思う。

例えば、超能力者や霊能力者が「100%成功しなければインチキ」と言われることがある。しかし、一流のサッカー選手ですらシュートを100%決めることはできない。状況やコンディションによって結果が変わるのは当然であり、超常現象もまた、一定の法則に従うものではないのかもしれない。

森達也氏は著書『オカルト 現れるモノ 隠れるモノ 見たいモノ』の中で、「オカルト現象は、意識していない時に現れ、確認しようとすると隠れる」と述べている。まるでそれ自体に意識があるかのように、見え隠れするというのだ。

オカルトとは、証明できるものでもなければ、完全に否定できるものでもない。ただ確かに「何か」がそこにある、それは偶然なのか、未知の力なのか。

 

今のところ、それ以上でもそれ以下でもない。それが、オカルトなのかもしれません。

 

参考書籍

図説オカルト全書

サピエンス全史 上 文明の構造と人類の幸福 (河出文庫)

オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ (角川文庫)