ミステリーレコード

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映画を通じて考える未来の暗黒社会 〜完全なるディストピアのシナリオとは?〜

人類が直面する未来のシナリオの一つとして語られる「ディストピア

完全なるディストピア社会とは、一部の人間が権力を掌握し、その他の人々を徹底的に支配する未来像です。このシナリオはフィクションに限らず、現実の社会や技術進歩の延長線上に存在するかもしれません。今回は「ディストピア」についてお話していきます。

 

その前に、個人的に大好きなYouTubeDave Fromm channel」の人類存亡を賭けた確率を見た事で、このテーマを書こうと思いました。最後にリンクを貼っておきますので気になった方は見てみてください。

内容は哲学者のトビー・オードが書いた本「The Precipce」を元に、今後100年以内に人類が滅亡する可能性のある事の確率を出したお話でした。詳しくはYouTubeを見て欲しいんですが、簡単に言うと人類が核を持ち始めてからの100年が一番危ない時期に入り、この100年を過ぎると安定して存続できるという事で、そんな危ない100年の中で、人類が滅亡してしまう原因とその確率です。

・自然現象全体による(火山や隕石など)滅亡の確率は1/10000。

・人間由来全体(人工知能や核など)では1/6だそうです。

その人間由来全体の中の一つとして、滅亡ではなく「ディストピア」が入っていました。ある一定の人間が世界を支配し、その他の人間の可能性を全て潰してしまう。そして絶対に抜け出すことができないシステムです。そんなシステムが出来てしまったら・・・

 

という事でそんな「ディストピア」についてなんですが、SF映画なんかではよく描かれているので、今回のタイトルにもあるように映画を通じてお話していきます。

 

 

映画を通じて考える未来の暗黒社会:完全なるディストピアのシナリオとは?

 

テクノロジーによる完全監視社会

ディストピアの象徴的な要素の一つが、テクノロジーを駆使した完全監視社会です。私たちの日常生活は、スマートフォンやインターネットを通じてすでに一部監視されていますが、ディストピアではこれが極限まで発展し、人工知能ビッグデータがすべての市民を監視するようになります。

例えば、ジョージ・オーウェルの小説を基にした映画『1984』では、政府が市民のすべての行動や言動を監視する「ビッグ・ブラザー」が登場します。人々のプライバシーは完全に奪われ、誰もが常に見られている恐怖に支配されます。また、現代社会においても中国の「社会信用システム」のように、個々の行動をデジタルデータとして評価し、制限を与える仕組みが存在していることは、ディストピアの予兆とも言えるでしょう。

未来のディストピアでは、顔認識技術や脳波検出技術を使って、政府や企業が個々の思考や感情まで監視し、反逆の兆候を見逃さず、即座に取り締まる世界が想像されます。つまり、私たちが「自由に考える」ことすら禁じられ、誰もが支配層の意に沿うような「従順な市民」に仕立て上げられるのです。

 

階級社会の固定化

ディストピアのもう一つの特徴は、階級社会の固定化です。一般市民が一度下層に落ちると、決して上昇することができない、厳しく閉ざされたヒエラルキーが存在します。富や権力を持つエリートは、その地位を代々維持し、資源や情報を独占します。一方、下層の市民は劣悪な生活条件の中で、支配者に奉仕し続けなければならないのです。

映画『エリジウム』では、このような階級社会が極端に描かれています。富裕層は病気や貧困のない理想郷「エリジウム」に住み、地球上の貧困層は過酷な労働と抑圧の中で暮らしています。エリジウムの市民たちは、地球の惨状を知りながらも、下層民を助けることはなく、資源を独占しています。この映画は、階級社会が物理的にも分断された世界を象徴しています。

ディストピアの階級社会は、教育や医療までもが階層ごとに分配され、上層階級は最新技術や豊かな生活を享受する一方、下層階級は労働力として酷使されるだけの存在に成り下がる未来です。自分たちの境遇を変える手段がないため、一般市民は絶望の中で生きるしかなくなります。

 

自由意志や創造性の抑圧

ディストピア社会では、自由意志や創造的な思考が危険視され、徹底的に抑圧されます。支配者層にとって、個々人が自由に考え、行動することは脅威であり、従順さを維持するために創造性を根絶します。

この要素は、映画『ブラジル』やレイ・ブラッドベリの小説を基にした映画『華氏451度』に明確に表れています。『華氏451度』では、本が読むことを禁じられており、本を持つ者や読もうとする者は火をつけられ、焚書されます。これは、支配者が知識や情報を独占し、一般市民が自由に思考することを阻止しようとする典型的な手段です。

現代の社会においても、インターネット上の情報操作や言論統制はすでに始まっています。ディストピアが進行する未来では、私たちが自由に何を感じ、考えるかすら、AIや権力者によって監視・制御される可能性があるのです。

 

生存自体が目的となる社会

ディストピアでは、人々の生活は極限まで切り詰められ、生き延びること自体が目的となる社会が構築されます。個々の人間は労働力としての価値しかなく、感情や娯楽、文化といった精神的な豊かさは完全に否定されます。

このテーマを象徴するのが、サイレント映画メトロポリス』です。この映画では、労働者階級が地下の機械的な世界で過酷な労働を強いられ、富裕層がその成果を享受しています。労働者たちは、自分たちの生活や労働に疑問を抱くことなく、ただ毎日を耐え抜くしかありません。この設定は、未来のディストピアにおいて、労働が唯一の生存手段となり、人々が自我を持つことすら許されないことを暗示しています。

ディストピアが完成すると、生きること自体が目的化され、人間の幸福や自己実現という概念は完全に失われてしまうのです。

 

バイオポリティクスと人間の機械化

最も恐ろしいディストピアの未来像は、人間自体が機械化され、完全に管理される社会です。バイオテクノロジーやサイボーグ技術が進化することで、人体がデジタルデータに変換され、感情や意識までもがテクノロジーで制御される未来です。

映画『マトリックス』では、人間が機械に支配され、仮想現実の中で生きていることに気づかない世界が描かれています。実際の人間たちはエネルギー源として機械に利用され、現実世界では何もできません。このように、人間の身体そのものが搾取の対象となり、思考や感情すら機械に支配されるディストピアが描かれるのです。

未来のディストピアでは、身体改造や脳内インプラントによって支配者に従うことを強制される可能性もあります。自分自身の思考や行動が、自分の意志ではなく、外部のプログラムによって制御される世界。そこでは、自由や自我は完全に消滅し、人間はもはや「人間」ではなく、単なる機械に成り下がるのです。

 

まとめ

完全なるディストピア社会は、自由や人権が完全に抑圧され、技術や階級構造によって管理された未来です。映画や文学で描かれてきたこれらの暗黒世界は、決して単なるフィクションに留まらず、現代社会の技術的・政治的進展の中で実現する可能性も孕んでいます。私たちは、テクノロジーの進化や社会構造の変化を見据えつつ、どのような未来を選び取るべきかを今、慎重に考える必要があるのかもしれません。

 

そしてこの完全なるディストピアへ、世の中を見ていると、お気づきの方もいるとは思いますが、そちらの方向へベクトルが向いているような気がしませんか?

 

よかったらDave Fromm channe、とても面白いのでチェックしてみてください。

 

参考サイト


www.youtube.com