ミステリーレコード

あなたが今まで知らなかった不思議な世界。それは、あなたの心を大きく広げてくれるかもしれません。このブログでは、古代の謎から現代の怪奇現象まで、幅広いテーマで、あなたの心を惹きつけるようなミステリー世界を紹介していきます。

悪魔祓い ~バチカンのエクソシストと悪魔の歴史~

エクソシストとはキリスト教、特にカトリック教会の用語で、エクソシズム(悪魔祓い)を行う人のこと、エクソシズムとは「誓い」「厳命」を意味するギリシャ語であり悪魔にとり憑かれた人から、悪魔を追い出して正常な状態に戻す事を言う。現在のカトリック教会では、洗礼式の時に悪魔を拒否する誓約がある、かつてはカトリック教会の下級叙階の位階の一つとして存在し「祓魔師」と訳された。Wikipediaより

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悪魔の歴史と最初のエクソシスト

悪魔という概念や悪魔祓いの儀式は、古代都市バビロンやエジプトのファラオの時代から存在していた。デーモンという言葉は古典ギリシア語のダイモン、「狂った」を意味する、サタンという言葉はヘブライ語の「敵対者」「対抗者」を意味する、デビルは古英語のデオフェル、ラテン語のディアボラスギリシア語のディアボロスからきている。キリスト教では、このほかにルシファー、ベルゼブブ、ゼブルン、メリディアン、ベリアル、といった名前が使われている。

悪魔はあらゆる時代や文化において、その存在を認められ多種多様な名前で呼ばれていた、旧約聖書新約聖書にも頻繁に登場し、現代では様々な美術作品、文学作品、音楽やアニメなどにも登場してきた。

キリストの時代、肉体および精神の病はしばしば悪魔の仕業と考えられた。その病を治してきたイエス・キリストキリスト教における最初のエクソシストである。

最初にも書いたけど、古代都市バビロンや古代エジプトの時代からの悪魔祓いやプロテスタントが救済と呼ぶ儀式は、ユダヤ教イスラム教などキリスト教以外の宗教にもみられるが、そうした儀式を徹底的に成文化、制度化しているのはローマカトリック教会だけである。

 

旧約聖書の悪魔、新約聖書の悪魔

悪魔とはヘブライ語聖書(旧約聖書)に出てくる邪悪な力の、悪魔という概念的なものだと多くの聖書研究者は考えている、一方悪魔がはじめて登場するのはキリスト教徒が書いた新約聖書の最後の書(ヨハネの黙示録)である。現在のイメージする悪魔という存在は、その後形成されたものにすぎないと考えるものもいる。

古代の文書の訳語や概念をどう翻訳するかの問題で様々な議論が生じる。言葉の選択や解釈の違いで話が違ってきてしまうからです。英語訳の聖書だけでも多くのバージョンが存在していて、どのバージョンも「これこそが最も正確なものだ」と思えてしまい、逆にすべてが疑わしく思えてしまうと言います。

旧約聖書には善と悪との争いを描いた物語がいくつもある。

一部の学者によると、旧約聖書に出てくるヘブライ語のSATAN(サタン)という単語は「敵対者」「非難する人」もしくは「妨げる者」である。サタンは究極の邪悪な存在ではない、サタンは神が監視している天上の協議会の官吏として登場する。

例えば、サタンはヨブを苦しめるが、それはヨブの神への忠誠心を試すためである。

より邪悪な存在となるのは、もっと後の時代になってからだと言います。

 

新約聖書に登場するサタンは、現在の私たちがイメージするものに近くなっている

サタンは地上におけるキリストの敵に力を貸し、旧約聖書のサタンと比べるとより邪悪な存在になっている。ユダがキリストを裏切ったのは悪魔にそそのかされたからであり、悪魔は神の側近から敵対者に代わり、より大胆になって荒野でキリストを誘惑した。一部の学者によれば、ここでキリストと戦っているのは悪がサタンに姿を変えたものだという。

この戦いでキリストはエクソシストとしての力を手に入れ、その力を使徒たちと分かち合い、病人などを癒す事ができた。このことが悪魔祓いの基盤になっている。

 

ヨハネの黙示録では、悪魔はついにデーモンの軍団を手に入れる。

悪魔の姿がはじめて具体的に描写されるのもここである(ヨハネの黙示録 第十二章三節および四節)

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そして、ヨハネの黙示録の話では大天使ミカエル率いる軍団が悪魔デーモンたちを打ち破るのである。

 

科学と宗教

悪魔は自分の近くに潜んでいるのではないか?

多くのキリスト教徒は心の中でそう信じていた、何世紀にもわたって教会がそう教えていたからだ、疫病、天災、飢餓などは悪魔の仕業であると、予測もできないものから教会は守ってくれると、長いあいだ人々は素朴に信じていた。

 

科学はこれまで人々が恐れていたものに筋の通った説明を与えてくれる。

そう気づいたヨーロッパの一部の人間は、科学的発見をできるだけキリスト教の教義に合わせようと努力をしたが、科学は宗教的事実を損ねるものでしかなかった。

 

教会は真実に対する独占権を奪われ、社会をまとめる力を失いつつあった、もっとも脅威にさらされたのは、バチカンが宗教ばかりでなく、政治や経済も支配していたイタリアだった。そんなイタリアで科学と宗教をめぐる論争に二人の有名人が同時期に出てきた、その二人は正反対の研究を行っていた、それは偶然だろうか??

 

ひとりは初期ヨーロッパの科学者ガリレオ ガリレイ

聖書の教えに異論を唱え、物事の性質を理解するには観察と実験を用いる事も必要だと考えた、彼のアプローチはのちの科学研究の基盤となった。

ガリレオピサの斜塔の揺れるシャンデリアを見て、振り子を使った実験から時間の計測法を発見した他、望遠鏡を使って観測を行い宇宙は教会が考えているよりずっと複雑であることを発見する。

科学は地球が太陽の周囲を回っている事を証明したと示唆した、聖書にはまったく正反対の事が書いてあり、教会はガリレオの考えを抹殺しようと彼を異端審問にかけたのである。

信仰は証明できないものを信じることであり、地球が宇宙の中心であるという説は、悪魔は存在するという説と同じで、太古の時代に起源を持っておりキリスト教の教義の一部になっている「これまでつねに真実だったのだから、否定しがたい真実である」というのが、教会側の言い分だった。

 

もう一人の人物はジロラモ メンギ神父。

メンギ神父はガリレオと同じ研究者として有名だが研究は科学ではなく神学だ、悪魔や悪魔祓いに関する文献をまとめること、そして悪魔祓いを正当化し、悪魔の存在を専門に研究した最初の学者だった。彼は聖書以降の悪魔やデーモンに関する話などを何百と集め、そこに自分自身の考えを付け加えた。

デーモンはキリスト誕生の直後から存在しており、種類も地位も義務も様々で、神話に登場する神々に似た位階制があるとメンギ神父は言う。

空の上に住むデーモンは「火の者たち」と呼び、テレオと呼ぶ地上に住むデーモンは、世俗的な金や色で獲物を誘惑する、海や湖にこっそりと潜んで船を沈没させる者、地下に住み魔術師や魔法使いと協力する者、さらに光を恐れる者もいる、彼らは全て悪賢い知恵を持ち、未来を見透す能力を駆使する。

また、魔女はデーモンとセックスをし、魔術を学び、人間を操るという契約をデーモンと交わす。

これらは古代の迷信や民話のようなおとぎ話のように思えるかも知れないが、教会はそうは考えなかった。

 

悪魔憑きの兆候

悪魔に憑かれた人間には、いくつかの兆候が見られる事があり、これをメンギ神父はリストにした。

・それまで知らなかった言語を話す

・知りえない事実を口にする

・超人的な力の発揮

・司祭や神聖なものに対する嫌悪

・深い憂鬱

・悪魔の助けを求める

・ナイフや釘、ガラスの破片などを吐き出す

 

これは、現代のカトリックエクソシストが基準にするチェックリストとほぼ一緒である。

 

メンギ神父は、エクソシストの為のハンドブックを出版した、それには祈りと祓いの文句、十字の切り方、司祭はいつ被術者に頸垂帯をかけるかなどエクソシストとして踏むべきステップがすべて説明されている。

教会側もエクソシストの為に独自のマニュアルを発行した。

多くの書かれている事はメンギ神父とほとんど変わらず、メンギ神父の仕事はバチカンによって是認されたのである。

 

 

現在、多くの神学者たちはサタンの存在を否定している、少なくともエクソシスト達が心に思い描いているような実態を持つ存在だとは考えていない。

けれど、十九世紀以降の時代に悪魔祓いの後継者がいなくなった訳ではない、スペインのカルメル会修道士の司祭フランチェスコ・パラウ神父は生涯を悪魔に憑かれた人々を癒す為に捧げたと言われている。

 

教皇レオ十三世(在位1878~1903)によって書かれた祈り

「大天使ミカエルよ、戦いにおいて私たちを守り、悪魔の悪意と罠からお救いください。神が悪魔を罰されることをわたしたちは伏して祈ります、おお、天軍の皇子よ、魂を破滅させようと地上を徘徊するサタンや悪霊たちを、神の力によって地獄に落としてください。アーメン」

 

この祈りは、一世紀後の今も多くのミサの最後に会衆たちによって唱えられています。

 

 

引用および参考とした文献

バチカンエクソシスト」LAタイムズ ローマ支局長 トレイシー・ウイルキンソン