オカルト(英語: occult)とは、秘学・神秘(的なこと)・超自然的なもの。ラテン語: occulere の過去分詞 occulta(隠されたもの)を語源とする。目で見たり、触れて感じたりすることのできないことを意味する。そのような知識の探求とそれによって得られた知識体系は「オカルティズム」と呼ばれている。ただし、何をもって「オカルト」とするのかについては、時代や論者の立場等により見解が異なる。(ウィキペディアより)
オカルトと聞いて一歩引いてしまう人も多いと思います、怖い、怪しい、ただの空想に過ぎないなどでしょうか??特にオウム真理教事件以降は、宗教家たちの反社会的行為の理由付けにされたり、怪しげで非科学的な魔術に対して一般の批判は大きいと、(図解)オカルト全書の監修、解説をしている荒俣 宏さんは、この本で書いています
さらに、その批判は大変に偏った、オカルト史の真相を無視した批判である、現に欧米ではここ二十年の間に、オカルトと科学の関係、オカルトと宗教のかかわりあい、そしてオカルトが思想哲学に与えた影響などを、検討する作業が行われ、いくつもの重要な歴史の見直しも提案されている。と書かれています。
世界的に有名なノーベル賞作家で、悪魔や霊魂、神秘家やオカルトを报った著作の多いアイザック・バシュビス・シンガー氏が本書やオカルトについての考えも書かれています。
オカルトというものを生み出したのは、人の心である。人の生死、性、その他あらゆるものに疑問を覚えるところから、オカルトは生まれてくるのである。
オカルトは神秘主義という人類最古の科学であり、最古の宗教でもある。いずれも、人生にまつわる根本的な疑問に対し、答えが見つからないところから生まれた。
想像力が豊かなら、自己の内に向かい、答えを精神の世界に求めようとする。ユダヤ教の神秘家もキリスト教の神秘家も想像力をかき立てるために断食やさまざまな苦行を行った。そうすると空想が膨らむのであった。
科学は、過去においても現在においても、宇宙の大きな謎は解明していない、むろん神秘主義も決定的な答えを出せたわけではないが、少なくとも人の心を満たす事はできた。
魔術は、想像力によって自己催眠を引き起こしたときの現象てある事が多い。真の画家や真の神秘家が魔術的な現象を体験するのも、彼らがそう信じているからである。
オカルトの始まり
我々ホモサピエンスは芸術という総合的な魔術を開発したからこそ、ネアンデルタール人、その他の人類の近しい仲間たちを圧倒し地上を占拠できたのではないか?
動物学者のコンラート・ローレンツは「人間とチンパンジーなど現生類人猿との最大の違いは、たった一つ。人間は必要に駆られたわけでもなく、また役に立つ訳でもないのに、余計なことをする能力を持っている」と。
旧石器人は石器に十字の印を入れる、縄文人は土器に縄目の模様を入れる。なぜ印とか縄目のような余計なものをいれるのか?
実はこの印や模様は、超自然的な力を活用するために生み出された何らかのコミュニケーション行為に関係しているのだ。例えば、この印や模様を呪術に用いるのである。
しかし、超自然的な力の存在を認識するだけならネアンデルタール人も同様の意識水準に達していたと考えられます。その証拠に、かれらは仲間を埋葬するにあたり、遺体を花で覆っている、もし仮に我々が今でも実践する献花と同じ理由であるとしたら、ネアンデルタール人は立派に余計なことのできる知的人類だったと言える。
なのに、なぜネアンデルタール人は現生人類と異なり独りになり滅びてしまったのか?
洞窟の中で動物の絵を描き、これに槍を突き刺すといった狩猟成功を祈る儀式があるかないかの差ではないか。ということは、シャーマンがあらかじめ描かれた動物を殺すという疑似狩猟をとり行ってから、狩猟者に自信と確信を与えて実際の狩場へと送り出す習慣がなかった可能性が大きい。
つまり、ネアンデルタール人は芸術を用いた魔術を、われわれほどには、発達させなかった事になる。動物の絵を現実に生きている動物と同一視する能力、これこそが超自然的存在の活用を可能にした。同時に芸術という直接的必要性のない余計なことが、いかに現生人類の運命を変えたかを明らかにする仮説である。
現代のオカルト
最近のオカルトは、心霊現象やUFO現象などがよくネットなどで盛り上がってるんではないでしょうか?スピリチュアル系もすごく人気ですよね。少し前は超能力なんかも流行ってましたね。TVなどのメディアに取り上げられるようになったからなのか、超常現象に対して嘘か本当かって事がテーマになり、見る側もそこを意識してしまってる気がしますが、どうでしょうか??
例えば超能力者や霊能力者、占い師など100%その力を発揮して成功しないとインチキだと言われます。一流のサッカー選手でもシュートを100%決めれる訳ではないですよね、その時の状況や判断ミス、体調なども関係してくるんだとは思いますが、それはどちらも同じなんではないでしょうか?さらに、超常現象自体に、現れたり、隠れたりといった現象が起きるそうです。
日本のドキュメンタリーディレクター、ノンフィクション作家の森達也さんが「オカルト 現れるモノ 隠れるモノ 見たいモノ」で、「見え隠れ」というキーワードがよく出てきます。
超常現象では、気にかけていない時や何かしらのきっかけで現れるが、それを確認しに行こうとすると隠れる。ただ完全には隠れずに何かを残すといった事がとても多い。
まるで、その現象自体に意識のようなものがあり見え隠れするんではないのかと森達也さんは言っています。
オカルトとは
何モノなのか、本当にいるのか、偶然なのか、ただ現象としては確実にある「なにか」
いまのところはそれ以上でも、それ以下でもない。それがオカルトなんでしょうね。
でわでわ。